思い出の昭和、そして上月町 |
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(第77話)牛窓という楽園その2<<2009.09.02記>>そしてその翌年、私が小学6年生の夏、1968年にも牛窓に行きました。 その年も、そこのオッチャンはよく相手をしてくれたし、その家の私より1つか2つ上のオニーサンもよく遊んでくれました。本当に居心地のよい夏の数日を過ごさせていただきました。 さて、その家には私よりも大分に年上のオネーサンもいました。しかし私が恥ずかしがり屋だったせいもあるし、第一、話しも合うはずもなく・・・ということで、あまり印象には残っていません。 しかしながら、お互い歳をとった40年後の今、親父の葬式とか法事に来てもらって、今では楽しくしゃべっていたりしているのですから、面白いものですね。 さて、このオネーサンの部屋に何かの用事で入ることがありました。 そこで見たものは! それはショッキングピンクが使用されたEPレコードジャケット「花の首飾り」だった。 そしてさらに小学6年生の私が驚いたのが「真っ白なジャケット」のLPレコード。 そうです、ビートルズの通称「ホワイトアルバム」と呼ばれるアルバムです。 これらがその部屋にあったのを覚えています。 しかし当時の私はまだこれらの音楽にはめざめていなかったので、それが何であったのかは分からなかったのです。 しかしその後数年で、人一倍音楽大好き人間になった私は「あー、あの部屋にあった、あれかーっ!」と感激したものです。 そしてそのオネーさんの部屋には大きなステレオセットがドカーンとおいてありました。 当時の我が家にはまったくレコードをかける装置はありませんでした。 この「ドカーン」とおいてあった・・・というところが当時のステレオセットの大きさを表しています。 (セパレートステレオの例:左右のスピーカーと本体は離れます。画像は他のサイトより拝借しております。) 当時のステレオセットというのは、床にドーンとおいたセパレート型ステレオだったからです。それ以前には横長の本体の両側にスピーカを内蔵させて、足が生えたアンサンブル型という一体型家具調ステレオが全盛だったのです。 その後、モジュラータイプとか出てきましたし、システムコンポとかいうステレオセットが出始めたのはさらにまだ後のことです。 その「ドカーン」とおいてあったステレオセットはうらやましかったですが、当時の我が家ではまったく異質のものであり、そしてねだったからと言って買ってもらえるものではありません。 何はともあれ、これほどにカルチャーショックを受けたことも無く・・・・・・・・・ あ、そうそう。以前にも述べたことがありますが、カラーテレビで歌番組を視たのもこの家が最初でした。 |
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