思い出の昭和、そして上月町
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(第66話)昭和30年代のたまご

<<2008.08.22記>>
筆者が住んでいる在所には昔、ささやかな鶏舎を営んでいるおじさん(子供の私からみるとすでにおじいさん)がいた。
昭和30年代後半、私はときどきこのおじさんの家に、卵を買ってくるようにというお使いに行っていた。
「おっちゃん、卵を20個頂戴」というと、そのおじさんはおもむろに新聞を開くのであります。
「えーっと」と指につばをつけながら新聞を開くおじさん。
その日の相場を見ているのだった。
「今日は一個何円やな・・・」的なことを言って、値段を決めている。ある意味たいそうに正直なおじさんでもある。
しかしどこの相場かは知らないが、今考えるとそれも「おかしなはなし」でもあると思う。
田舎は田舎の需要と供給のバランスがある。都会の相場がそのまま通用するとも思えない。これは今、大人になった私の考えではあるが・・・・・・・

ま、とにかくおじさんはつばで指をなめなめ、今日の相場にたどり着くのだった。
お金を払って、卵を持って帰ると今度はおふくろが活躍する。
当時の卵は非常に高価で、値打ちモンだった。お使い物に、またお見舞い品としては最高のものだったのだ。

お袋は卵の大きさより大きく切った新聞紙に卵を載せる。
くるくると卵をまいて、両ハタを折り込む。
こうすることによって、横からの衝撃をいくらか柔らげ、縦方向の衝撃からも守る、すごい梱包である。
その新聞紙でくるくる巻きにした卵を、たてにして数十個を砂糖箱に入れる。
その卵が入った砂糖箱をまた包む。
立派なお使い物が出来上がるのだ。
当時の卵の価値は今とでは比べ物にならない。今ではバーゲンの目玉に成り下がっている。卵の価値をこんなに陥れてしまってよいのだろうか?
適正な価格で流通させ、生産者にもある程度余裕をもってもらう。その上で鶏糞等の処理を適正に実行していただく。
こういったことは大事ではないでしょうか? いくら儲かっても、その儲けをモラルの向上に使わない業者は逝ってよし!!
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