思い出の昭和、そして上月町
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(第65話)姫新線今昔

<<2008.07.05記>>
昭和30年代から40年代にかけてはよく姫新線に乗ったものだ。というかそれ以外に交通手段が無かった・・・というのも事実だ。
小学生のころ、年末になると姫路まで買い物に出るのだ。今と違って完全なおのぼりさんになっていくのである。笑い話ではない。事実、そのころ姫路まで行くということになると、お袋なんて着物を着てたりしてたもの。
そのころの姫路行きなんて本当に晴れがましいことだった。デパートの屋上の遊園地で遊ばせてもらって、食堂でご飯を食べて・・・・。
そして疲れ果てて姫新線に乗って、わが町上月まで帰ってくるのだ。
当時の車両の背もたれなんて板だったものね。
あ、そうそう機関車はもちろん!!蒸気機関車だ。
天井についていた電灯なんて、白熱電灯が丸いスリガラス状のドームの中に入っていたような感じで、今から考えると非常にレトロな雰囲気の中での帰りの車中となる。
小学6年生の夏のある日、私にとって初めての姫路までの一人行があった。姫路のおばさんに届け物が発生したので、私に一人で姫路まで行けというお袋からの指令である。
喜びと不安があった。しかし、無事に姫路駅についておばさんと落合った。
で、今となっては何を食べたか忘れてしまったが地下街で何か・・・をご馳走になった記憶がある。
さて、その後、私はその姫新線で通学することになるとは夢にも思わなかった。
竜野市(後、龍野市、現たつの市)にある某高校に進学したのだ。
毎朝、上月6時45分発の6両編成の汽車にのって通学だ。ただし残念ながら昭和45年の春だったと思うがいわゆる蒸気機関車は廃止になっていて、ディーゼル機関車が6両の客車を引くのだ。今では考えられないが、上月発のこの6両編成の汽車は三日月駅ですでに座りきれないくらいの乗客数となる。
今では2両の編成ですら座りきれるくらいしか乗らない。当時はまだまだ自家用車も少なく、こういった公共交通機関がまだまだ必要とされていたのだ。
皮肉なことに、2008年現在、ガソリンの価格が暴騰したおかげで公共交通機関が見直され始めている。良いことだと思う。
客が戻れば一段と利便性の高いものになれる。そうすれば一段と客がつく。
良いほうにころがると良いですね。
ただ、仕事で毎日車に乗らざるをえない環境下ではそうそう言ってもいられないけど・・・・・・
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