思い出の昭和、そして上月町 |
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(第51話)五右衛門風呂<<2007.4.11記>>以前に少し書きましたが、我が家の風呂はご多分に漏れず五右衛門風呂でした。昭和46年の夏までは、柴や割木(薪とも言うのかな・・・)で風呂を焚いていたのです。 小学生であった私も、家の手伝いとして風呂を沸かしていたのです。 特権としてわいた後に残った火の中にジャガイモを放り込んで焼いていました。焼くといってもめらめらとしている火の中に放り込むのですから直ぐに芋は真っ黒に焦げてしまいます。 しかし、その真っ黒にこげた芋をわると、中からはホクホクとした部分が現れてきます。 案外、おいしかったものです。 五右衛門風呂というのは、熱いものだという意識があり、少しでも風呂釜外周に触れたら飛び上がるほど熱いと言うようなことをよくラジオだとかテレビで言われています。 しかしこれは嘘です。確かに沸かした直後は熱いです。しかし、少し時間が経てば当然の話ですが、湯と同じ温度に下がるのですよ。 ですからテレビ等で五右衛門風呂は常時熱いというような演出をしていればそれは嘘だと思うのです。 当時は人情がありました、というか家族の絆が強かったと思います。 子供の頃、その五右衛門風呂に入ると、家族の誰かが声を掛けてくれるのです。 「ぬるいかあ?焚いちゃろか?」と。 で、ぬるい場合は、家族の誰かが外に出てきて、薪をいくらかをクベテくれるのです。 そのときは流石に風呂がまに触れてはいけません。それこそ飛び上がるほど熱いですから・・・。 |
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