思い出の昭和、そして上月町
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(第44話)電話機の思い出

<<2006.10.04記>>
昔々、ラジオ関西から始まったと言われる「電話リクエスト」ですが、実はそのころまだまだ全家庭に電話があったかと言いますと無かったのです。
幸いなことに私の家では必要に迫られて昭和30年代中ごろには設置していました。当時在所内15軒中、電話があったのは2軒だけでした。しかも回線がまだまだ用意されていず、一回線を確か3軒で使っていたと思います。交換手が3軒に振り分けたベルの鳴らせ方で呼び出すのです。「りーん、りーん」というのが我が家でした。「りーん、りん、りん」とか「りん、りん、りん」というのが他所でした。
逆に我が家から電話をかけるには、まず交換を呼び出すために電話機の側面にあるハンドルをくるくる回します。そしておもむろに受話器を持ち上げて交換に伝えます。「もしもし、****番の誰々さんをお願いします」なんてお願いするわけです。
そうです、ダイアル式では無いのです、というかそのような交換機を設置するほども普及していなかったわけです。
でさらに市外通話をするときにはもっと大変でした。まず交換手を上記の方法で呼び出します。で、「大阪**局の****番につないでください」と申し込んでいったん電話を切ります。
その間交換手は手動操作にて順次大阪までつなげていくのでしょうね。無事相手方に接続できた時点で改めて私の家に交換手が「つながりました」とか言って呼び出してきてくれるのです。
無事相手との通話が終わるとしばらくしてまた交換手から呼び出しを受けます。
「只今の通話は***円です」という連絡を受けて、やれやれやっと通話がすべて完了するわけです。
そのような環境のなか、子供だった私はよく近所に電話の取次ぎに走らされたものでした。そのかわり駄賃にりんごとかをくれる家があったりしたものでした。
さて、そういった事情が十年以上も続いたある年のこと「農集電話」というものが入ってきて、隣近所も電話がある生活を迎えることができるようになりました。そのあおりで我が家では電話番号が変えられてしまいました。さらにまたその農集電話が一般的電話になり交換機が変わったせいか、またも電話番号が変わってしまいました。結果現在の我が家の電話番号は3つ目ということとなっています。
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