思い出の昭和、そして上月町 |
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(第42話)炎天下の悲劇の少年<<2006.08.13記>>昭和三十年代後半、近くの雑貨屋でお菓子を買うときは、「おばちゃん、かりんとう20円分おっけ(頂戴)」と言っていました。そうするとおばちゃんは海苔のビンみたいな容器に入ったお菓子を、はかりで20円分になるまで紙袋に入れてくれます。そのあと袋の両耳をつまんでくるくると回して閉じてくれて渡してくれました。 あの紙袋への量り売りというのはなかなか懐かしいものであります。ところがこの紙袋が後に悲劇となって私を襲うのであります・・・・ ある日の夏の暑い暑い昼下がり、両親は小学生であった私にアイスキャンデーを買って来いと言ってお金をくれました。両親、じいちゃん、お姉ちゃん、そして私の分の計5個を買いに行くことになったのです。私の家から自転車で2〜3分のところの現在の力万地区旧道に景山商店(正式名は知りません)があったのです。当然アイスキャンデーはそこで買うことになります。もう少し走れば福井商店がありましたが、近場の景山商店に自転車を飛ばしました。 そこで私は5個のアイスキャンデーを買って颯爽と家に向かいました。 ところがある程度走ったところで急に手に下げた袋が軽くなりました。ふっと手元を見てみますと・・ 「ぎゃー、買ったばかりのアイスが無い!!」 そうなんです、景山商店のおばちゃんはいつも使っている紙袋に5個のアイスキャンデーを入れてくれていたのです。それをそのまま手に提げて炎天下、自転車の片手に下げていたのですからあっという間に紙袋が濡れて破けてしまったのです。 拾いに戻ればよいでは無いか・・・、そうです。私は直ぐにUターンをして拾い集めましたが流石に焼けこんだ砂利石のある道路上(たしかまだ簡易舗装にさえなっていなかったと思います)に落ちたアイスキャンデーはわずかの時間とは言え、融け掛けてしまっていました。 べそをかきながらも拾い集めたアイスキャンデーを家に一応は持って帰った少年は「心優しい家族」によって罵倒されることもなく、無事に成長しました。メデタシメデタシ。 紙袋に入れてくれたおばちゃんの名誉のために少し解説を・・・ 昭和三十年代後半とは言え、現在のようなポリ袋なんていうものはまだまだ「超希少品」でありました。当時は大事にとっておいたものでした。ですから、紙袋だったわけです。 |
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