思い出の昭和、そして上月町 |
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(第37話)はるかなる中国山地<<2006.05.14記>>以前にも書いたとおり、1960年代という年代には一部の家庭にしか自動車は無かったのです。ですから後山、日名倉山なんてはるか遠くの景色だと思っていました。 当時の私たちは、4月の節句には在所(隣保)の子供みんなが弁当をもって、愛宕さんとよばれる社が祀ってある「まるやま」と呼ばれている山に登ったのです。 その山の頂上から北方を見ますと、はるか向こうに頂上が雪で白い峰峯がみえたものでした。「あれは中国山地じゃ」と上級生が教えてくれました。その上級生というのが再三登場する「近所のおにーさん」であります。 さて、佐用郡(旧)上月町から見る「4月というのに雪をかぶった中国山地」という風景は、とんでも無く遠い、それこそ簡単にはたどり着けないほどの遠い世界にみえたものでした。 しかもその風景の一部は現在の「生鮮パワー」の前の橋を渡りきったあたりからも見えたものでした。 後年、誰もが自動車を所有し始めたころ、やっと気がつきました。あのはるか向こうに見えた「雪をかぶった中国山地」は、案外近いところであった!!ということに。 あれほどロマンをかきたててくれたあの風景がこんなに身近なところなんて知らなかった!という事実はやはり現在の車社会によるものでしょうね。簡単に移動できるというのは本当に距離を圧縮してくれるものと言えると思います。と、同時にロマンが消えました・・・・・ |
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