思い出の昭和、そして上月町
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(第34話)ファクシミリ

<<2006.03.14記>>
現在ファクシミリ、略してファックス、英語で書くとfacsimileと呼ばれる機械が全く珍しいものではなく、今や無くては困るもの、さらには家庭にも根付いています。
しかし、実は私の心の中のファクシミリは今から30数年前の機械なのです。当時のOA機器?といえばXEROXの乾式コピー機が出たばかりのころで、普通は湿式のものがあれば上等でした。で、学校とかでは謄写版とよばれる印刷システムが幅を利かせていました。ざらついた金属板の上に蝋が塗られた紙を置いて、そしてその紙の上に鉄筆でかりかり文章を書き込んでいく。鉄筆でかかれた部分のみの蝋が欠きとられてそこだけインクが透過することを利用しての印刷技術です。多分安価に印刷できていたのだと思います。
ところが中学にあがってびっくりしたのは、先生誰もが「かりかり」と原稿を鉄筆で書いては居なかったことです。ふつうに紙にペンで書いていました。しかしそれがちゃんと謄写版で刷った印刷物として配布されていました。
謎は解けました。当時の中学校の職員室の西となりに放送室がありました。狭い放送室の一角にでんとすえられたファクシミリという機械。
この機械には直径20センチくらいで長さが60センチくらいの回転するドラムがありました。このドラムの左方に、普通にペンで書いた原稿を巻きつけます。そして右側に蝋が塗られた謄写用紙が巻きつけられます。
そしてスイッチオン!!
シュルシュルと音を立ててドラムが回りはじめます。原稿を走査した結果が蝋の紙にそのまま焼かれていきます。
そうして謄写用版下が出来上がるのです。後は手動輪転機にかけるだけです。
しかしカルチャーショックを受けたのはこの方式だけではありませんでした。その機械を構成している電子回路に驚いたのです。
当時はもちろん真空管式であり、大体がシャーシにソケットが取り付けられ、配線はラグ板を利用した空中配線というのが常識でした。ラジオ、テレビでも同じこと。
しかし、その当時にファクシミリと言われたその装置は基板の上に構成されていました。茶色のベーク板で出来たプリント基板に真空管のソケットが仕込まれていて、真空管がささっていました。その奇異な光景に驚いた、中学3年生の私が居たのです・・・・・・。
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