思い出の昭和、そして上月町 |
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(第30話)たこあげ<<2006.01.04記>>さてお正月です。こどものころには凧揚げというのは楽しい正月の遊びでした。 昔の凧のほとんどは「奴(やっこ)だこ」と呼ばれるもので、正月も近づいた近所の雑貨屋に並んでいたのを買っていました。 それに新聞紙を細長く切った足をつけたら、さあ出発。 村の中に国道から離れた町道があり、そこであげたものです。ものすごく子供のころには電線があまり無く、凧を引っ掛けるというような心配は要らなかったのですが、小学生の高学年になったころと思いますが、かなりの電線に覆われてしまうような状態になりました。 当時の我が家の田んぼのど真ん中にも電柱が立ち、邪魔なことこの上ない状況になっていました。そのころからあまり凧揚げもしなくなりました。 しかし当時の上級生があげる凧の高さといったらすごかったと記憶しています。いわゆる現在のゲイラカイトとちがって、ぎゅーんと斜めに伸びたすごい長い糸の先に豆粒のようにしか見えない凧がありました。 私の子供がまだ幼かった今から十年以上も前には、その豆粒にしか見えないくらいにあがった凧の再現をすべく、かなりがんばって娘たちにいいとこをみせてやろうとしたのですが、なかなか思い通りにはいきませんでした。 しかも現在では我が家の田んぼの中にあった電柱をはじめ、その他の電柱も撤去され、村の中を縦断するような電線は現在ではありません。ですから思いっきり糸を伸ばせる環境であったのにもかかわらずにですから、少し情けないような気もします。(自嘲) しかし、娘が小学校に通っていた頃では学校で凧作りをしていたみたいで、自作の凧を揚げてやるというのは楽しかったです。 ところがさすがに娘たちも成長してしまいますとて凧揚げなんてまったくするチャンスもありません。 さらに言えば車で移動するときにでもまったくと言ってもいいくらいに凧揚げをしている風景は見なくなってしまいました。 なんだか、さびしいです。たしかに現在では通信、電力等の電線が多く、あげる場所も無いのかも知れませんが、いったい子供たちは何をして正月を過ごしているのでしょうか? 私の子供が幼いときは一生懸命親としても寒さをこらえてそのような遊びに付き合ってやれることが出来ましたが、最近の親御さんたちも子供たち同様、どのようなお正月を過ごしておられるのでしょうか? なんかさびしくなってしまいます。 |
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