思い出の昭和、そして上月町
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(第28話)壁新聞

さて、私には6才も年上の姉が居るのですが、この姉が歯科医院で稼いだお金で「コニカC35」というコンパクトカメラを買いました。
たしか買値は\16,000くらいだったと言っていました。35年も経った現在でもこのカメラは動作します。現在ではカメラに目が無い私ですが、当時の私はなぜかあまりカメラには興味がありませんでした。
しかし、そんな私にも試練の時がやってきたのです。
中学2年生の秋ごろだったと思うのですが、学級で壁新聞を班毎に作ることになったのです。「憧れのKちゃん」は私とは別の班でした。
そのKちゃんが「H君とこカメラあるん?」と訊いてきましたので「ある」と答えました。
取材用に使うらしいのです。「一日だけ貸して」というのでもちろん二つ返事で「おー、ええよ」と答えたのです。そうです、頭に浮かんだのはくだんの姉のカメラです。憧れのKちゃんが使うのだったら姉のものだろうが誰のものだろうが、無条件で貸してあげるのだ。その「憧れのKちゃんがカメラを借りに僕の家に来る」という事実だけで私は舞い上がってしまいました。
さて、ある日曜の朝、KちゃんとTさんの二人連れが我が家にやってきました。そして私に小箱を突き出して言いました。
「このフィルムも入れてな」と差し出されたフィルムの入った小箱を私は押し頂くと・・・。
「困った・・・フィルムなんて入れたことも無い・・・、しかしよういれん・・なんて憧れのKちゃんの前では言えへん・・・」と頭を抱えてしまいました。
そこで悪戦苦闘をしているところを見せたくなかったので、「よっしゃ」と言ってフィルムを受け取ると二人を外に置いたまま、私は玄関の戸の裏に隠れました。そして彼女たちに見えないところで七転八倒、悪戦苦闘をして何とかフィルムを装填することに成功しました。
最近のカメラの主流はデジカメであり、そもそもフィルムを装填するというようなこととは無縁です。さらに言えば現在のフィルムを使用するカメラでさえフィルム装填は難しくはありません。ましてAPSカメラなんてフィルムをポンと放り込むだけで簡単に装填できてしまいます。
しかし昔のカメラは大変でした。巻きもどしノブを上に引っ張り揚げて裏ふたをあけます。
その部分にフィルムを装填し、フィルムの先端をもう一方の巻き上げリールにまきつけます。そしてフィルムにたるみが無いように緊張を与えながらふたを閉じます。そして何コマか空送りして、フィルムの感光していない最初のコマを設定します。後は撮影ごとにフィルムを巻き上げていきます。撮り終えると底にあるクラッチボタンを押してラッチをフリーにした後、フィルムを巻き戻していきます。
その最初の初めてのフィルム装填を震える手で、しかも悪戦苦闘した気配を微塵も見せずに平静を保って彼女たちに渡しました。
あれからちゃんと写真は撮れたのかどうか今となっては全く記憶にありませんが、間違いなくその頃から少しカメラが好きになり始めたのは確かです。件のカメラは高校にあがる頃には姉から貰い受けていました。
香港が中国に返還される前年、私はこのカメラを持って香港に行きました。一眼レフのようなゴツたらしいものは嫌だったので敢えてこの1970頃製の古いけどコンパクトなカメラを持っていったのです。
香港からマカオに行ったとき、現地のガイドのお姉ちゃんが私の写真を撮ってやると言ってきかなかったので仕方なくカメラを渡しました。
あらかじめピントの合う場所に線を引き、「ここから撮れ」と言うと怪訝そうな顔をして私を見ました。そして彼女は言いました。「いまどきこんなカメラってあるの?」
<<2005.11.18記>>
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