思い出の昭和、そして上月町 |
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(第26話)アンサンブル型ステレオさて、私が結構音楽好きであることは何回か書いてきました。その音楽を聴く道具も5球スーパーラジオ、6石トランジスターラジオ、\6,480なりの姉のステレオ(トランスレスシングル一段増幅アンプ)、自作のプレーヤーと自作とは言えない他機からの分捕りアンプと自作スピーカーの組み合わせ・・・・と中学2年生になるまでに何とかやってきました。しかし、やはり大きいステレオがほしかったのです。そのときお袋が「甥っ子の部屋にステレオがあった。それをもらってやる・・・」と言ったのです。買ってやるではない、ひとが使っているかもしれないそのステレオをもらってやる・・ですから、いかにしまり屋だったかがわかるというものです。 はたして中学2年も冬休みに入るころの12月のある日曜日にそのステレオはやってきました。姫路の義理のおじが車に積んで届けてくれました。早速私は仮においた部屋で電源を入れてみました。そしておもむろにかけたレコードは「ウェストサイド物語」というミュージカルのなかの「トゥナイト」というEP盤でした。おー、さすがに大きいスピーカーが搭載されているのか、私がそれまで作ったりしていたスピーカーとは違う低音を聴かせてくれました。 が、「ん?」なんかピッチが遅い・・・。当時のフォノモータは普通の2極インダクションが使われていて、シンクロナスモータではなかったです。ですから、ピッチコントロールというものがついていまして、ピッチが早すぎるときはキャプスタンと同芯に設置されたアルミ板をマグネットで挟み込んで回転を抑えるのが普通でした。しかし、もともとの回転が遅いのでこれ以上はどうしようもない。 困ってしまいましたが、しかしなんとまわし続けること10分ほどでだんだんと回転が速くなってきました。最後にはピッチコントロールで回転を落としてやらなければいけないほどにもなりました。最終的にこのステレオを人手に渡すまでこの繰り返しでした。
この6BQ5はアンプの自作記事でよく見かけた球ですので、なんかこれだけでも意味もなくうれしかったです。 ところがこのアンプをじっくり観てみますとなんと、もう一球のソケットが空いているではありませんか。で裏に貼ってあった回路図を見てみますと、なんとこれはスプリングリバーブ用アンプと判明しました。早速上月駅前の「アマコ電化」に自転車で走って「6BQ5」を一本買ってきました。たしか\400くらいだったと思います。その真空管を挿して電源オン!! 「お〜!!エコーがかかっている!!」と感動したものの音楽を聴く上では何の役にも立たなかったので、以降使うことはありませんでした(^^) 昭和37年製の日立のステレオだったのですが、最終的にはなんやかんや言いながらも結構の間使いました。高校生になってやっとパイオニアのプレーヤ(\21,800)とアンプ(\24,800)を買ってもらうまではしっかり働いてくれました。 で、このステレオの最大の特徴はなんと言ってもMWバンド(中波ラジオ)のチューナを2回路搭載していたことでしょう。何ゆえに? それはFMステレオが実用化されるまで、半分冗談かと思われるようなことが行われていた証拠なのです。 実は昔々、FMステレオ放送がまだなかったころ、中波ラジオを2局つかってのステレオ放送が時々行われていたということなのです。たとえばNHK第一放送が左チャネルを、NHK第二放送が右チャネルをという風に放送していたことがあったという証拠です(^^)v。 丸2年以上は使いましたが、使い始めたころにはすでに販売されてから8年以上もたったステレオでしたのでさすがに古臭さは否めずでした。しかし、発売されたころはめちゃくちゃな高級機種ではなかったか?と想像できます。 ダブルチューナ、スプリングリバーブ付き、これだけでも当時の真空管での制作にはかなりのコストがかかっているはずですから・・・ いまから思い出しますと非常に懐かしい思い出です。現在のようにマイクロチップ、IC等で簡単に機能を用意できてしまうのとは違い、現実的にそれだけの物量を投入しなければ実現しないのです。特に当時の真空管を知る私にすれば、懐かしさはひとしおです。 <<2005.10.22記>> |
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