思い出の昭和、そして上月町
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(第25話)深夜放送

私が小学6年生だった冬のこと、「帰ってきたヨッパライ(※1)」とかいう曲がはやりました。これは「深夜放送」から火がついてヒットしたそうな・・・、ということ位の知識は入ってきていました。余談ですが当時の我が家にはテープレコーダーという「近代的」なものがありました。姉が買ってもらっていたものです。日立製で3.5インチオープンリールのもので、もちろん2ヘッド。スピードは4.75Cm/secと9.5Cm/secの2スピードのものでした。賢い(?)私はそこでひらめきました。4.75Cm/secのスピードで「おらはしんじまっただあ〜」とゆっくり歌って録音。それを9.5Cm/secのテープスピードで再生すれば、あのヒット曲の「帰ってきたヨッパライ」の高くてコミカルな歌声に聞こえるではないか?
はたして、うまくいきました。ラジオでかかっている声と同じような声で「おらはしんじまっただ〜」と聞こえたではないか!てなもんです。
さて本題にはいります。私がラジオの深夜放送に傾倒し始めたのがいつからだったかよく覚えていないのですが、たしかにしょっちゅう明け方まで聴いていたことがあります。
前述の6石トランジスターラジオを買ってもらってからすぐのことでは無いです。
思い出しました!
昭和37年製の足が生えた古いステレオをもらってからです。このステレオについては面白い話がありますので後日あらためてご紹介しようと思います。
で、そのステレオについていたラジオで深夜放送を聞き始めたのでした。当時も今も私が住んでいるこの上月地区では在阪のラジオ局のはいりが、深夜になるほど聴こえ難くなるのです。フェージングと韓国、中国からの混信等によるものです。
ところが東京の各局がよく受信できるのです。たぶん電離層の関係でしょうが、在阪の朝日放送ラジオ、毎日放送ラジオが聞こえなくて、TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送ががんがん聞こえてきますので、おのずと深夜に聴くラジオは「オールナイトニッポン」というところに落ち着くのです。
当時は局アナの方がパーソナリティをされていました。そのなかでも「亀渕」さんなんか大変な人気でした。そうです、今年(2005年)の冬、ライブドアに株を買い占められていたときの社長「亀渕さん」が当時の人気パーソナリティだったのですよ。
ときどき朝方まで聴いてそれから睡眠、直ぐに起きて登校ってなことはよくありました。ポップス、歌謡曲といろいろな曲が流れてきました。いまだに、当時の日本ではやっていた「魔法」という曲を探しているのですが見つかりません。ルー・クリスティの「魔法(邦名)」の原題は「She sold me magic」だったと思います。レコード、またはそれ以外の音源をお持ちの方、お願いです。聴かせてください。(※2)
中学3年生のとき「壁新聞」を班毎に作ったときの事、「深夜放送を聴こう」などという記事をM君と共著で記事にしました。
当時のことです。「駄目!!」とかは言われはしませんでしたが「白い目」で担任の先生に見られていたのは確かだった思います。何せ35年ほど前の時代のことですから・・・・。
そのM君は非常に勉強が良くできる「奴」だったのは有名な話でした。
さて、当時有名だった深夜放送は「オールナイトニッポン」だけではもちろんありませんでした。文化放送の「セイ!ヤング」とか、TBSの「パック・イン・ミュージック」とか現在でも語り草になっているほどの名番組がありました。
それらを兵庫県の西の端に住んでいながら在阪の局ものではなく、東京からの放送を主に聴いていたのですから面白い話です。
最初にも書きましたが、私の住んでいるこの地では夜になると在阪の局は(1971年に出力アップしているのに)いまだに聞こえづらいです。
※1:2007.10.7タイトル間違いに気がつき、訂正
※2:2007.10.07現在、ひょんなことから聴くことができました。
<<2005.10.17記>>
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