思い出の昭和、そして上月町
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(第13話)ステレオ

昭和の時代の憧れはカラーテレビという選択肢もありましたが、一方でステレオというものもありました。
実は第5話で述べたカラーテレビを買う前に「ステレオが欲しい」と少しごねたのは私でした。既に音楽に目覚めていた私はテレビというものはあまり見なくなってしまっていたのです。中学一年生のころ、生意気だった私は、とくにバラエティ番組なんてぜんぜん見なかったです。外国のドラマ「原潜シービュー号」、「巨人の星(アニメではありません、外国ドラマです)」、「奥様は魔女」とかはよく見ていましたが、アニメとかバラエティなんかはどこか「馬鹿にしていた」節があります。
なもんで、家族でカラーテレビを買おうという話題が出てきたとき、私一人「ステレオが欲しい」なんてことを言っていたわけです。
しかし、さすがに家族が楽しめるのはカラーテレビだということくらいは分かっていましたので最終的には「家族全員が幸せを感じることができる」選択を選んだのは言うまでもありません。
そこで、音楽を聴く手段が欲しかった私は自作を思いつきました。
ターンテーブル、トーンアーム、カートリッジはCQ誌の通販のページから買い求め、自分でプレーヤキャビネットをつくって収めました。これはある知識が足りなかったので、最初の作品は失敗に終わっています。
アンプは姉が買っていた\6480なりのステレオのアンプ部を失敬して、前述のキャビネットに収めました。50EH5とかいうヒータ電圧50Vの5極管シングル一段アンプです。
スピーカは5球スーパーラジオからはずした12Cmフルレンジを片チャンネルに、そしてもう片チャンネルのスピーカは「某ある機器」から外した16Cmフルレンジでした。スピーカーボックスもその辺のありあわせの箱を利用したものでした。
このようなシステムで初めて聴いた「ショスタコーヴィッチ」の「交響曲第5番ハ短調」は心に「ジーン」としみ、生意気な中学2年生はすっかりと音楽のとりこになってしまいました。

ある日のこと、家族のカラーテレビが故障しました。
T電気屋さんは「いつものように」夜中の9時ごろ修理にきはりました。テレビをひっくり返して、シャーシの裏側の抵抗やコンデンサーとかを交換した後、テレビをもとに戻してスイッチオン!!
見事画面はいつものように映ってT電器の親父さんを尊敬しまくりました。
「あれ?」とT電器の親父さん。「音が出ん・・・・」
たしかに音が出ていない。
「・・・・」沈黙を守る私。
T電器の親父さんはスピーカの部分を見て「あれー!!??」と驚愕の声を上げました。
仕方が無いのでついに私は白状しました。
16Cmフルレンジが2個付いていたので「片方をはずした」ということ。そして、のこりのスピーカは「半田付けせずに配線を手でねじっただけで済ましたこと・・・」。そうです、この手でねじっただけの配線の接触不良で音が出なかったのです。
えーえー、そのとおりです。上記の片チャネルの16Cmフルレンジというのはこのカラーテレビから失敬したものだったのです。
そのような粗末なステレオでしたが、結構楽しめました。
上に述べたプレーヤーキャビネットの失敗というのをまだ書いていませんでしたね。その失敗というのは「オーバーハング」を知らずに制作してしまったことです。この「オーバーハング」というのはカートリッジがレコード盤の上をなるべく直線的に移動するように考えられた「オフセット」とともに大事な設定のひとつです。
ターンテーブルの軸からさらにまだ15MMほど前に、カートリッジの針先が到達するようにアームを取り付けることです。
もちろん、気が付いた私は直ぐに改良したことは言うまでもありません、HI。
<<2005.08.08記>>
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