思い出の昭和、そして上月町
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(第10話)西庄小学校

昔々、現在の力万地区に小学校がありました。現在では西の庄という公民館になっています。その学校名は「西庄小学校(にっしょうしょうがっこう)」と言いました。私がまだ保育所にもあがっていないときに、姉の参観日にはお袋に連れられてその学校に行った記憶があります。力万の「山崎ショップ」あたりから、シイタケの集荷場(宇根への入り口)辺りまでの現在の国道はまだ無く、そこは田んぼのあぜ道でした。現旧道が当時のメイン道路でした。
その旧道沿いにはかつて、役場、農協、景山商店、下駄屋、牛乳屋、畳屋、自転車屋、医院とか大概の店がならんでいました。その中に「西庄小学校」があったのです。つまり、現在の上月町になる前の西庄村の中心が、力万であったということでしょう。
その西庄村と幕山村が合併して「上月町」になり、そのあと久崎町と合併して現上月町となっているのです。
さて、私は保育所に通いましたが、その保育所はどこにあったかと言いますと・・・・・実は無かったのです。
それでどうしていたかといいますと、とある地区の公民館をかりて教室がわりにしていたのです。初めて保育所として通ったのは現在の須安公民館(当時は倶楽部と言っていた)でした。そのあと、上上月の公民館(現上月八幡の上がり口)が保育所となりました。
そんな変則なことをしていた最中に当時の西庄小学校は現在の上月小学校の場所へと代わっていました。そしてその西庄小学校の跡へ我らが「保育所」が建設されていたのです。で、その秋ごろだったと思うのですが、いよいよ「新しい保育所」に通うことになりました。
さあ、朝からお袋は張り切って弁当作りです。幼い私もワクワクです。当時は給食では無くて弁当を持って行っていました。
「行ってきまーす!」と我が家からほんの数百メートルの場所にあるその真新しい保育所に行きました。でも誰も居ないのです。
幼い私は凄く心細くなってきて困ったな状態になっていました。
そのとき背後で畳屋のオバちゃんの声が聞こえてきました。
「ぼく、今日はな、日曜日やで。そやから休みやで・・・」
「へ?」私は家に帰ってお袋に言いました。「おかあちゃん、今日は日曜日やて・・・」
そのときのお袋のリアクションは今となっては完全に忘れてしまっています。
小学校の話から保育所の話になってしまいましたが、一連の話として書かせていただきました。
<<2005.08.04記>>
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