思い出の昭和、そして上月町
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(第6話)私の音楽史、昭和編

私が大変に小さかった頃、近所のおにーさんたちは「うえをむーいて、あーるこぉぉぉお、なみだが、こぼれないよほほほに・・・・」と口ずさんでいました。さらに同じ頃だった思いますが、大人たちは「いたこの、いーたろぉぉお、ちょっとみなーれーばー」とかなんとか口ずさんでいました。まだ我が家にテレビが無かった保育児だったころはラジオから「ぼーくのこいびと、とーぉきょーにいっちっち」などと流れていました。いずれにせよ、思い出だけであって積極的に自分が好きな音楽に目覚めていた訳ではなかったことははっきりしています。
私がはじめて自分が好きな音楽として認知したのは、当時のグループサウンズと言われていたバンドの曲だったと思います。テンプターズの「神様おねがい!」、タイガースの「花の首飾り」などなど・・・・
しばらくはその分野への興味が続きますが、中学生になった1969年の春先のこと、何を思ったか母親が6石トランジスターラジオを買ってくれたのです。三菱電機製で手のひらにのるちいさなラジオです。これが私の音楽への本当の目覚めのきっかけを作ってくれたのです。電源を入れて最初に流れてきた音楽は、ビートルズの「オブラディ・オブラダ」だったことは今でも鮮明に覚えています。そして夕方6時から始まるラジオ関西の「電話リクエスト」は多大な影響を私に与えてくれました。曜日によってジャズ、ポピュラーがあって、毎日毎日よく聴きました。中1にしてすでに私は「音楽なら何でも聴きたい!」少年になっていました。ビートルズは「サムシング」をシングルカットしていてヒットしていました。トム・ジョーンズは「ラブミートゥナイト」とか、「イパネマの娘」というボサノバ系統もはやっていたりしていて、夢のようなひと時をすごしていました。と同時にいわゆる邦楽(?)からは離れていきました。ですからいわゆる当時のいわゆる「フォーク」というジャンルは好きになれませんでした。いや、ボブ・ディランのようなメッセージ色の強いものは好きでしたが、吉田拓郎とかになりますと、フォークというより「歌謡曲」では無いかと思って好きになれませんでした。
以降、クラシック、ジャズ、ポピュラー、カンツォーネ、シャンソン、落語、浪曲、(フォーク・歌謡曲以外)何でも聴いてやろう精神は現在に引き継がれていまして、中年にどっぷりつかっている現在でもあらゆるジャンルの音楽を聴いています。

今回は「落ち」が無い?
いえいえ、ちゃんと用意しています。私が小学生6年生のときに体得した女性の本性。
小学生6年生の確か秋ごろまでは、多くの女の子の好きなグループサウンズは「ザ・タイガース」でした。そりゃね、それこそ飛ぶ鳥を落とす勢いでしたからね、「ザ・タイガース」は。ヒット曲もたくさんありました。代表的なものでは「僕のマリー 」、「シーサイドバウンド」、「落ち葉の物語」、「花の首飾り」、「銀河のロマンス」、「シー・シー・シー」などなど。
しかし、1969年も後半に入った頃、失神で有名な「ジ・オックス」という連中、いやグループ(バンド)が出てきて異常な人気を博し始めたのです。
ある日のこと、昨日まで「ザ・タイガース」にきゃあきゃあ言っていた女子どもが「やっぱりオックスやなあ・・」とぬかす。
「へ?」
私は小学6年生にしてすでに女子の変わり身の早さに気が付いたのです。そういった体験はトラウマになってしまっています。
<<2005.07.29記>>
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