思い出の昭和、そして上月町 |
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(第3話)大人の世界を垣間見た焼きそば私が小学生の高学年のころ(昭和41年から43年頃)だったと思いますが、下に書いた「たいやき屋」さんの西となりに鉄板焼きの店がありました。今となっては屋号も、そこの「オバちゃん」の顔も思い出せないのですが、お好み焼き屋だったのか、ホルモン屋だったのか、土間の中央に大きな鉄板がおいてありました。その店の近所に住む同級生のT君やその他数人で遊んでいたとき、そのT君が言った。「あの鉄板焼きの店で焼きそばを食べよう」。 まったくそのような環境に育っていなかった私はその初めて食べる焼きそばのおいしかったこと。 え?どうして小学生の分際でそのような大人の店で大人のような食べ物を食すことが出来たか?と疑問にお思いでしょうね。 そのオバちゃんのサービス精神が成せた業なのか、単に昼間の暇を有意義に儲けたかったのか、その店のオバちゃんは¥30で食べさせてくれたのです。 当時の食堂で素うどんが¥50のころの話です。 実は焼きそばと言っても、たしかに「焼きそば」ではあるのですが、具が無い。 いや、具はあった。たしかたまねぎだけだったと思います。そのたまねぎだけが入った焼きそばを子供向けに作ってくれていたのです。 当時、T君の家に遊びに行ったときはちょこちょことそこで食べていたのです。 ところがその楽しみも終焉を迎える時がきました。そりゃそうでしょうね、小学生が鉄板焼き屋に入っていくということだけでも、当時は端からみていてよいことでは無いでしょうよ。 あるとき、数人でいつものようにその鉄板焼き屋に行きまして、「オバちゃん、焼きそば焼いて」と頼みました。 すると、オバちゃん肩を落としては非常に悲しそうに言いました。「あのな、ぼくらな、もうオバちゃんなあ、30円では焼きそば焼かれへんねん」 そのオバちゃんが言うには、風紀上の問題というよりも、「¥30というのが商工会の間で問題になった(注)」らしいことを言っていた。 そしてわれわれの密かな楽しみは、すっかりと消え果てしまいました。(残念!!) (注)ご記憶のかたにお願いです。記憶に間違いがあればご指摘ください。 <<2005.07.26記>> |
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